01・08 亀井静香金融・郵政改革担当相と小沢鋭仁環境相が来島
8日(金)は、政府与党で、米軍普天間基地の移設先として下地島空が候補地として浮上するなか、亀井静香金融・郵政改革担当相と小沢鋭仁・環境相が那覇発の飛行機最終便で午後7時頃宮古空港に到着するとの情報があり、朝から「しんぶん赤旗」日曜版の配布に駆け回り、城辺地域の配布を残して、午後6時前には家に戻り、すぐに、抗議のため空港へ行きました。
冷たい雨と風の吹きつける中、横断幕を張り、空港出口前の歩道で待機していると、飛行機の発着が大幅に遅れて、午後8時30分頃の到着になるということで、一旦、家に戻って夕食をして午後8時15分過ぎに再び空港へ行き、午後8時50分頃まで、抗議行動をしました。
■ 01・09 新春のつどいと下地島空港問題で抗議行動
9日(土)は、時間も会場も初めてお昼の12時から共和ホテルで、党の「新春つどい」を開催しました。
初めて、市議会で1議席を勝ち取った民主党のM議員も参加するなか、踊りや歌、寸劇、テーブルスピーチ等、これまでになく、和やかで楽しい「つどい」になりました。
「つどい」終了後、午後4時からサンエーターミナル店前で「ピースアクション」に参加しました。
この行動は「自衛隊誘致と下地島空港の軍事利用反対」のスローガンを掲げて5年前の「自衛隊のイラク派兵反対」を訴える行動からはじまりました。
いつもは毎週土曜日午後5時から6時までとりくんでいますが、今日は亀井、小沢の両氏が来島したことから、時間を早めて午後4時からの行動にして、広く呼びかけをしたところ、30人を超える参加者で、歌を唄いビラを配布して、参加した人がそれぞれハンドマイクで訴えをするなど活気あふれる行動になりました。
現場で、「小沢一郎民主党代表が一週間ほど前に来島していた」というという情報が寄せられました。
私も、明日の県党会議へ参加のため、今日の最終便で那覇へ出発するのを前に次のような訴えをしました。
「米軍普天間基地の移設先として、下地島空港が候補地としてあがっているが、宮古郡民は5年前に下地島空港の軍事利用反対の郡民大会をひらいて、きっぱりとした反対決議をあげており、空港建設に際し、当時の琉球政府と日本政府の間で『民間航空機以外の目的で使用させない』という『屋良覚書』をかわしており、それを無視するもので許せない。
米軍普天間基地は世界一危険な空港であり、人道上も危険な空港は即時閉鎖し撤去すべきだ」
那覇空港で迎えてくれた魚
■ 01・10 県党会議
10日は、県党会議に参加しました。13日から16日までの日程で開かれる第25回党大会の議案の審議と党大会の代議員の選出をする会議です。
時間をオーバーするほど、活気あふれる討論となりました。
私も、宮古島での「下地島空港の軍事利用反対」のとりくみについて発言、して討論に参加しました。
討論をとおして、日本共産党の役割が光り、ますます重要になっているということが明らかにされました。
1月17日告示、1月24日投票の名護市長選挙と7月の参院選挙で勝利を勝ち取る決意を固めあいました。
会場で、「下地幹郎衆院議員が宮古に着いた」という情報が宮古から電話で寄せられました。
これで、平野博文官房長官が下地島空港を自衛隊のジェット機で上空から視察するという同じタイミングで、事前に民主党の小沢代表が来島し亀井氏、小沢氏、下地氏が来島したことになります。
■ 01・11 名護市長選挙の応援
11日は、早朝、車を飛ばして名護市へ行き、名護市長選挙の応援に入りました。
市街地を中心に、日がなハンドマイクをにぎり26箇所で訴えました。じっと訴えを聞いていただき、「応援しています。頑張りましょう」という反応等があり、嬉しくなりました。
■ 01・12 帰ってまいりました。
12日、宮古に着くと、雨と寒い強風に見舞われました。
到着してすぐに、バイクを飛ばして、「しんぶん赤旗」日刊紙の配達です。
配達の途中で、米軍普天間基地を下地島空港移設に反対する意見書可決のための臨時議会を15日に開会するのを前に、議会運営委員会が今日、午前10時から招集されていたのがきになり、議会事務局に電話をいれました。
事務局長の説明では「議会運営委員会は予定通り開かれたけど、当局提案の臨時議会が20日に予定されており、15日の臨時議会の予定は20日に変更された。意見書案は、与野党の代表と議会運営委員長の3人で与野党案のすり合わせを行うことになっている」とのことでした。