宮古のカメジロー他界。

■[日常] 農民運動、政治革新の先頭に立つ。


 
 晴れ。8時30分、妻と2人で金吉さんのお見舞に宮古病院へ行きました。部屋が個室に変わって、そこには肩で息する金吉さんの姿が目にいりました。
「金吉さん、カメジローの100年記念展、宮古でもやるから…」耳元で声をかけて、手を握ると目を開いて手を握りかえして、何かいいたげに口をもごもごさせました。
外に出たがる元気な状況に、外出許可をもらって、家に戻ろうとしていたやさきの昨日、容体が急変したとの事です。
 「那覇行きを止めようかな」と、つぶやく妻に「大丈夫だよ」空港へ行こう、そういって病院をあとにして空港まで、妻を送りました。きっと元気になる、そう思ったからです。
 空港から、いったん家に戻り、Nさん、Tさんに電話で金吉さんの容体を報告、急に頭痛がして、横になり、11時過ぎに病院へいくと、部屋は空になっていました。看護師にたずねると、「10時15分、息をひきとりました」という返事に驚きました。
 様々な苦難をのりこえ、地道に歩んできた金吉さんを、「斧のような人だ、カミソリはよく切れるが、大木を倒せない」と評価した人がいました。まさに、勇気と気概を持って不屈に農民運動、政治革新の先頭に立ち、党をささえる人々を大切にして喜びを分かち合う金吉さんは「宮古のカメジロー」と呼ばれました。
 立派な大先輩を失いました。告別式は、19日午後16時から17時、松原墓地団地で行われます。