渡りのピークに台風接近で、カウント期間が合わなかった。

 10日付、宮古毎日新聞  今年のアカハラダカの飛去数が過去最低の1104羽。カウントを始めた1986年以降で最低となったが、カウント期間が終了した翌日に1887羽が確認されており、「台風接近により渡りのピークにカウント期間が合わなかったようだ。全体的に見ると、例年通りかそれ以上の飛去数だった」  写真提供 Sさん
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 11日付、宮古毎日新聞 ……………………………………………………
 サシバ、秋空彩る
  宮古野鳥の会 742羽をカウント
 これから飛来のピークを迎える。
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二日連続の野鳥の渡りの報道に興奮。

 アカハラダカの渡りは、父の最期と結びついて、もの悲しくなります。6年前9月26日、早朝に「父が息をひきとった」と、姉の知らせに病院にとんでいきました。
眠っているような父の顔。「長い間、お疲れ様でした」「長い間、お世話になりました」と、声をかけて外に出て空を仰ぐと、天高くアカハラダカの群れが、南の空へと静かに力強く羽ばたいて行くのが、目に止まりました。
 サシバの渡りは、幼いころの思い出が強烈によみがえります。雨が降ろうが、風が吹こうが片時も母のそばを離れなかった私は、畑仕事に出かける母の後を駆け足でついて行きました。
 畑に着いて、母が作ってくれたおにぎりを頬ばり、母が指さす空高くサシバがタカ柱を描いて舞う様にくぎ付けになり、われを忘れてじっと見とれていました。ふと、気がつくと、畑のどこにも母の姿がありません。群れて舞うサシバ、誰もいない広大な畑、不安がつのります。大声で「かあちゃーん」「かあちゃーん」と何度も声を張り上げて泣きました。しばらくして、笑顔の母が現れて安堵の気持ちから、よりいっそう大声で泣いていた私です。
 そのときの、木の葉にくるまれた、おにぎりの味を覚えています。ご飯よりも多い、みじん切りの大根と人参が、たっぷり入ったジューシーなおにぎりでした。
 ちなみに、10月10日は那覇市の「大綱挽」の日、そして「10.10空襲の」日です。第二次大戦で沖縄本島那覇市が焼け野原になりました。1944年、空襲に遭った市民が、平和な那覇市を願って開催されたのが始まりだそうです。今年は台風の影響で14日に延期されました。延期は初めての事だといいます。空襲の日、そのときもサシバは舞ったのでしょうか。