会議、消防出初式、生活相談、そして野党連絡会


 くもり16℃北東の風。
 さとうきびを満載したトラックが目につきます。今日から本島2工場の製糖操業が開始です。
 一睡もせず夜が明けました。
議会報告を作成して今日は完成の予定でしたが、パソコンの動作が鈍くて思うように仕事がはかどらず格闘した結果です。
 午前、動作の鈍いパソコンで、やっと会議のレジュメを作成して党事務所へ駆け込み、会議を終えると、12時を回ってしまいました。
 生活相談の電話が入り、電話の対応をしているともう午後1時を過ぎてしまい、そのまま消防出初式へ参加しました。
 式典が終わり、時計を見ると、生活相談でTさんとお会いする約束の時間が迫っていて、急ぎ市役所へ向かいました。
Tさんは、5日午前に「助けてください、どうしょうもなくて電話しました」と相談してきた方です。
 アパートを訪ねて話を聞くと、「失業してまとまった収入がなく、家賃を1年も滞納していて、このままでは、アパートを追い出されてホームレスになる。仕事もみつからない、電気も切られ、ガスも止められている。独り者で頼れる人もいない、このままでは死ぬしかない、そう考えて首つりをしたが、痛くて苦しくてもがいているうちに足が窓枠にかかり、死にきれなかった。街頭宣伝を聞いて、すがる思いで電話をした」といいます。
 それに、「脊椎管狭さく症」をわずらっていて、「足がしびれるほど痛くて、病院へ行ったが、国保も滞納していて保険証もなく、医療費も未払いのままだ」といいます。 
 私が「生活保護申請をしましょう」というと、「それだけはかんべんしてほしい、以前に申請して却下された。二度と市役所の窓口には行きたくない」といいます。
 しかし、それしかないでしょうと、嫌がるTさんを粘り強く説得して6日の午前9時30分に市役所のロビーで待ち合わせをを約束し、約束の時間に行くと、市役所の案内係の方に「考えましたが、(生活保護申請を)やめます」と伝言を残して逃げ帰ってしまった直後でした。
 急ぎアパートを訪ねてもお会いできず、やっと夕方になってアパート前の路上でTさんと合うことができて、さらに説得して再び市役所のロビーで待ち合わせをしました。
 無事、生活保護申請をして、その足で社協へ行き生活保護が支給されるまでの間の生活費の借入の手続きをなんとか、時間ぎりぎりに終えることができました。
 午後5時15分、ほっとして社協の駐車場を出ると満開の椿の花が目に入りました。