横浜市緑区に米軍ファントムが墜落して30年

         しんぶん赤旗「潮流」に釘付けになりました。

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 1977年9月27日。横浜市緑区の住宅地に米軍ファントム機が墜落したあの日から、30年がたちます。▼爆発。「細かい破片は2キロ先の路上まで、雹(ひょう)のように降り…」「火炎と熱線と爆風はジェット機の破片と混じり、一瞬のうちに、被災者の家族を襲った。…ドラム缶65本分のジェット燃料が積まれていた」 ―略―  ▼幼い息子二人の命を奪われ、自身も4年後に亡くなった土志田(旧姓・林)和枝さんは、胸にしか皮膚が残っていませんでした。炎から逃れながら子どもを抱きしめた胸です。過酷な治療にたえます。▼叫び声が病院内に響いた、薬液に体を浸す治療。六十数回の皮膚の移植・植皮手術。もう一度子どもをこの胸に、の一心でした。二人の死を知ってからも、悲しみのふちから立ち上がります。子どもの死を無駄にしない。生き証人として真相解明に役立とう、と。「生きるとは?」と高校生に聞かれ、「たたかい」といいきりました。▼妻の悦子さんが大やけどした椎葉寅生さんの一家は、家族ぐるみで米軍を裁判に訴えます。二人の子どもも証言し、事件から十年の後、賠償を認めさせました。「『安保の壁』に風穴があいた」と新聞も書いた勝利。いまも米軍機が飛び交いますが、土志田さんや椎葉さんのたたかいは生き続けています。
……………………………………… 引用 しんぶん赤旗「潮流」07年9月26日……… 
 この事件を通して、軍隊は住民を守らない、という事がよく見えてきます。住民が被害に遭って苦しんでいるのに、真っ先にやってきた自衛隊のヘリコプターは米軍パイロットを救出して飛び去りました。消火が終わって、焼け残ったものを取り出そうと自分の家に立ち入ることも許されず、跡形もなくすべて撤去されました。
 このようなことすべてが、沖縄における米兵の事件・事故に共通です。そして、いま、大きな島ぐるみのたたかいに発展している「教科書検定意見撤回を求める」県民大会、痛苦の戦争体験をとおして勝ち取った憲法を守るたたかいと根っこはひとつです。教科書で事実が隠されて間違った歴史をおしえこまれるようなことは絶対に許してはなりません。
 事実を子どもたちに伝えるために、私たち大人が「たたかい」検定意見の撤回を勝ち取る責任を果たさなければなりません。それは62年前に命を落とした、県民の先人達への責任でもあります。ぜひ多くの市民の参加で、大きく成功させましょう。